ドイツに因んで同一の時間概念を考えてみました。
信じられない程に時間は急激に加速する、
人により実は体感されている時間の流れも、
個人差があるようで流れも長さも実は同一では無く、
ひとそれぞれの感覚のようです。
そしてその時間の流れは意識や認識によっても、
大きく長さや流れすらも左右されますから尚更です。
日常で流れ行く景色や時間の感覚。
脳は同じ意識の連続や、
日々繰り返す同程度の事柄を適度に、
ショートカットしてくれる便利な機能を併せ持ちます。
長さが同じであるはずの往復路でも不思議な現象を感じる事が御座います。
往き道は長く感じるけれど帰りの復り道は実際よりも遥かに短く感じる現象です!
よほど強く記憶の回路を自分自身で正しく意識していないと、
こうした漠然とした時の流れ「時間」がショートカットされて、
指の隙間から知らず知らずに加速して零れ落ちて行きそうです。
意識と時間と感覚の微妙で複雑なな三角関係。
それは現在 過去 未来という3つの流れにも共通する概念です。
3つの時間帯があるように錯覚しているかも知れませんが、
正しくはこの世には現在という今の時間しか存在せずに、
前後の未来「予見的時間の流れ」未だ来ぬ先の時間軸にはイメージの世界であり、
誰もワープさせたり早送りでその未来にまでは辿り着けません。
当たり前の事ですが予定されていた先の時間軸へと到着した瞬間はどちらなのか?
辿り着いたと認識された瞬間に未来は間切れもなく現在へと移り変わります。
また同じく過ぎ去りし 昔の時間軸。過去へは誰も戻る事も出来ないように、
追憶の残像「記録の再生」でしか無いと思われます。
時間は現在 過去 未来という流れているというよりは実は現在が止まったままで、
ただただ流れ行く記録だけが思い出されるのみなのかも知れません!
カメラはお馴染みのSIGMA コンパクトカメラDP2Merrillです。
その画質は約4600万画素相当の解像度を誇るスパイカメラの縮小版。
さり気ない1枚に宿る衝撃的な新鮮度と想像を外れた意外なる景色。
良い悪いの判断基準は抜きにして日常の微妙なる景色を切り撮る面白さ、
こんなに小さな小型カメラの中に無限大の可能性が潜んでいそうです。
ファインダーを構え構図を決める瞬間はイメージは少し先の未来を脳内で予見し、
シャッターを切った瞬間は流れ行く現在の音の確認でもあります。
そして撮影した瞬間から記録画像は過去の産物となり、
撮影したての最新式写真と言われるような画像であっても、
正しくはほんの少し前の写真であり、
冷静には昔の記録の仲間「過去の産物」なのです。
本当に写真は奥が深くて面白い趣味の世界でもあります。
加古 俊文
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