室内のプアーな部分がしっかりとした素材に変化するだけで、
不思議なものでクルマ全体の完成度が何故だか数段程度上のグレードへと自然なカタチで高まります。
ポルシェカイエンの955カスタムモディファイの本当の楽しさというのは、
こうした自分自身で思い描いたような理想的な青写真の素材感やら、
キチンと頭の中でイメージした雰囲気や方向性の全てを、
ある一定のレベルにまで徐々に意識させて、
ゆっくりと高めて行くその道中の確認の積み重ねによる途中のプロセスが面白いのかも知れません。
ワクワクとするような大きな変革の違いが携わって来た自分だけに感じられるような、
その記憶の連続された満足感と醍醐味なのではないでしょうか?
最初から各部がそれなりに完成されていると逆につまらないと思えてしまうのは、
その素材感や奢られているパーツに対するオーナー自身の歴史や強い特殊な思い入れが存在せず、
自分自身が辿って来たような1つ1つの深き歴史もありませんし、
後から知識だけを手繰り寄せて強制的に思い描いてみたところで、
センスやタイミングに恵まれませんから本当の価値や素晴らしささえも、
なかなか上手い具合へと一致して感じられないからなのかも知れません。
モノの価値や有り難味なんていうのもそれらの領域と同じく、
最初から意識していないのに目に飛び込んで来ると本来の価値すら正しくは理解出来ないものなのです。
自分が本気で気持ちが良いと思えるような空間や場所や各部の細かなディティールに惚れ込み、
最高にお気に入りと思える特殊な空間に特別な素材をチョイスするのは実はこの為なのかも知れません。
シート下のプロテクター部のザラザラのプラスティックパーツが透明度の高いブラックカーボン素材へと、
進化した場合もやはり同じなのです。本来の価値が正しく理解出来ない人達からこうした部品を見れば、
それは何ら意味すら持たない単なる無意味なる自動車内総部品の無機質なオブジェと同じなんです。
でも同じクルマを所有されるオーナーから観る視点は一味も二味も内容は当然違って参ります。
自分ならこの場所はこんな風には決して仕上げないだろう!
とか、う〜ん、カーボン製品のなんたる無意味で贅沢な使用方法なんだろう〜!とか、
出来たら何かの機会に同じくこの部分をこうしてみたい!とか、955カスタムモディファイに対するセンスは、
千差万別で限りなく色々です。またヒトやタイミングや環境により手法やニーズも十人十色なんです。
一見無意味に思えるようなこうした955カスタムモディファイにも、
誰も挑んだ事の無い領域として時間と共にそれなりの歴史と深き意味を持ちはじめるのかも知れませんね!
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